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他人の心 [自己の哲学]

小さい頃、もしかしたら、他の人には、私の考えていることがわかってしまう人がいるんじゃないか、なんて思った頃があります。

自分自身のことしかわかりようがなく、そういう人がいないとは言い切れない。
でも、一般的に、他の人の心は知ることができないと思われている。
「わかる」というのは「推測する」のとはまた違うからね。
自分には出来ないから、みんなそうだと思うのか。
そういう人に出くわしたことがないとか。
脳の能力として、メカニズム的に不可能?

でも、他人の心がわかるとしたら、どのようにわかるのだろうか。
自分の考えていることのように感じるとしたら、自分のこととどうやって区別できるのか。
言葉が響いてくる?でも、心って、言葉で表されるのって、ほんの一部だと思うし。

現在の私が、他人の心がわかる人がいると思っているわけではありませんが。
むしろ否定的に思っているし。
でも、可能性を否定することはできないんじゃないかな、と思うわけです。

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過去と未来 [時間の哲学]

そもそも、過去と未来はどのような概念なのだろうか。

文字通りに受けとれば。
過去とは、過ぎ去った時。
未来とは、未だ来ぬ時。

過去は、変えることが出来ない。

未来は、知ることが出来ない。

過去と未来の関係を表す、数直線のような考え方もあります。

でも、すでに線があって、過去から未来へ線上を移動するようなイメージは、ちょっと違う気がします。

かといって、現在から無数に線が延びているのも、賛成ではありません。

過去については一本の線で表すとしたら、未来は線はなく、現在で切り開いていくようなイメージでしょうか。
(線を引くとき、引かれた線が過去、今書いている鉛筆のあるところが現在、まだ何も書いていないところが未来)

過去の方も、いろんなところでいろんなことがからみあっているので、一本で表すのもちょっと違う気もするけれど、それとこれは別の話ということで。
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神話・宗教 [神の哲学]

全知全能の神は存在するのだろうか。

神話や宗教って、昔の人が、世界ってどうなっているんだろう?という疑問を満足させるために創られた、というのもあると思うのよね。
もちろん、それだけではないけれど。
規律のようなものであったり、人びとの依りどころとなるわけだから。

神話も宗教も、とても興味はあります。
教訓とか生きるうえでの道しるべになったりとか、そういう意味では、とても素晴らしいものだとは思います。

でも、神様の存在だけは、どうも信じることが出来ません。

神という言葉の意味とは異なると思うけど、なんかそういう、超越したようなものって、自分の中にあるのでは、なんて思ったりしています。うまくいえないけど。
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死後の世界 [死の哲学]

前に、「あの世」があると仮定して、死んだ人は皆そこへ行くとしたら、あの世の人口は増える一方で、すごいことになるんじゃないか、なんて思ったことがあります。
そもそも、「広さ」の感覚が、「この世」の感覚と異なるとすれば、そんなことを問題にする意味がないのだろうか。

そんな中、「天国からはじまる物語」という本(小説)を読んで、こんな考え方もあるのか!と、すごい目からウロコな気分でした。
死後の世界、この話では「ドコカ」では、死んだときの年齢から若返っていって、0歳になると、またこの世に生れ落ちる。
これなら、人口の問題は関係ないしね(笑)。
輪廻の考え方の、アレンジバージョン!?

また、「この世」で幽霊が存在するとしたら、いろんな時代の幽霊が混在しているということになるのだろうか。
霊がみえるという人は、原始人の霊と、現代の霊が一緒にいたりするところがみえるのだろうか?
動物の霊とかはないのだろうか?
そんなにいっぱいいたら、それこそ、そこらじゅう霊だらけになっちゃうよね。
でも、なんとなく、そういう霊って、現世に未練を残しているからっていうイメージだよね。
で、成仏していなくなるっていう。
じゃあ、成仏したら、どうなるの?
原始人とかは、そんなに未練とかなさそうだから、あんまりいないのかも・・?
勝手なイメージですが・・。

でも、死後の世界についてのあれこれは、死の恐怖を和らげるための思想にすぎないと、私は思っています。
死ぬということは、脳の活動が止まって、心が存在しなくなるということ。
「本人」にとって死後の世界というものは存在せず、残された人々の記憶によってのみ、生き続けていくのだと思います。
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他人の見ている色 [自己の哲学]

「今見ているこの色は、他人が見ている色と同じ色なのか?」

そんなことを思ったことはないだろうか。

あなたと私は、同じ色を見ている。
私はその色を緑と思っていて、あなたも緑だと思っている。

ところが。
私にとっての緑であっても。あなたが緑と思っている色は、私には赤に見える色のことを、緑と思っているのかもしれない。

仮にそうだったとしても、なんの不都合も生まれない。

こうしたクオリアについては、自分自身のことしかわかりようがなく、確かめることが出来ないのだ。

ただ。
私は、同じ色を見ていても、みんなそれぞれ違う色に見ていると思っています。さすがに、緑を赤とまでは言わなくても。
色覚異常とまで言わなくても、主観や体調によって変わってくるような気がします。

私はねずみ色だと思っていたのに、母は青系だって言ったことも…。
これは、実際に見ている色の違いというより、経験してきた色の違いというか、言葉のニュアンスの違いという気もしますが。
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